パチンコを打つことは偶然ではなく必然だった
このブログを見ていただいたということは、
少なからずパチンコを打った経験があると
思います。
あなたはどうやってパチンコと出会い、
その結果人生はどう変わりましたか?
パチンコに出会って幸せになりましたか?
もしくは不幸になったでしょうか?
そしてこれからのパチンコと
どう付き合っていくのでしょうか?
僕がパチ・スロを10年以上実践し続けた結果、
やめるという選択肢をとった経緯も含めて、
少しお話ししようと思います。
※最下部にパチンコに関するお知らせを
載せてありますので確認してみてください^^
蛙の子は蛙
人は生まれた環境によって
人生が大きく左右されます。
歌舞伎の世界に生まれた人は歌舞伎俳優となり、
お寺に生まれた人は仏の道を歩み、
芸能人の子供は2世タレントとして
テレビに出るのをよく見かけたりします。
これられは生まれながらに背負った
運命のようなもの。
もちろん、全ての子供が親と同じ道を
選ぶことはないとしても、
ある程度の年齢までは
同じ道を歩むことは圧倒的に多く、
、
ということはよくあります。
そんな中、僕はパチンコ大好き一家の
長男として誕生しました。
父と母、祖父と祖母、そして叔父の6人家族
(のちに妹2人が産まれ8人家族)でしたが、
母親以外の大人は皆、週末になると
パチンコ屋に集合していました。
僕は小さいころから大人に連れられ
パチンコ屋へ通うようになりました。
僕の一番古い記憶では、
幼稚園の園庭に空いていた金網から脱走し、
パチンコ屋へ行こう!と同じ幼稚園の
友人に話していたことです。
つまり僕は幼稚園のころから
パチンコ屋へ通う人生を送っていたのです。
小学生になると学校帰りに
ランドセルを背負って帰宅するようになりました。
自宅の鍵は持たせてもらえませんでしたし、
友人にはその行動を知られたくなかったので、
途中まで学校の友人と一緒に帰り、別れた後、
誰にもばれないようにパチンコ屋に向かいました。
パチンコ屋に着くとコインロッカーに
ランドセルを放り投げ、
隣にあったゲーセンで遊んでいました。
遊ぶといってもお金は持っていなかったので、
ひたすらデモ画面のゲームを見ながら時間を
潰していただけですが(笑)
そんな家庭環境で育ったわけですから、
当然、子供の頃からパチンコに興味を持ちます。
僕が初めてパチンコを打ったのは幼稚園の時で、
真ん中に飛行機の役物がある羽モノだったのを
覚えています。
やり方は周りの大人を見ていたので知っていたし、
当時は子供が出入りしても怒られなかったので
良く祖母の隣で打っていましたね。
ちなみに人生初の景品は
おもちゃの野球ゲームでした。
※写真はイメージです
ボタンを押すとボールが発射され、
バットで打つというシンプルなものでしたが、
めちゃくちゃうれしかったのを覚えています。
小学生の頃はファミコンのゲームソフトを
交換するのが楽しみでした。
沢山箱を積んでいる日は買ってもらうチャンスで
玉流しの時間がおねだりタイムなんです(笑)
そんな一風変わった幼少期を過ごした
僕でしたが、その生活自体は今思うとずいぶん
楽しいものだったなと思います。
運命を変えたCRモンスターハウス
中学生になった年の大みそか、
何故か祖父とデパートに行くことになりました。
おそらく正月用品を買うためだったと思いますが、
その帰りにたまたま立ち寄ったゲーセンで
僕の人生を大きく帰る出来事が起こりました。
色々なゲームがある中、
ふと目に留まったのは当時流行していた
CRモンスターハウスというパチンコ。
スーパーリーチ発生時に可愛いお化けが登場し、
図柄を掴んでコマ送りリーチに発展すると
激熱と言うシンプルな台でした。
僕はこの台が無性に打ちたくなり、
祖父にお願いをしてお金をもらい
その台を打ち始めました。
300、400、500回転・・・
いくら打っても当たりません。
もらった1000円も底をつき、
もうやめようと思ったその時、
祖父が力強く言いました。
と。
僕はもう当たらないだろうし、
これ以上お金を使うことが怖かったのですが、
祖父がお金をくれたので打ってみました。
すると、なんと祖父の予言通り800回転
ピッタリで大当たりするではないですか!
もう二人でめちゃくちゃ興奮しました。
それこそ周りの人がみんなこっちを
見てるんじゃないかってくらいに。
じい、すごいよ!
本当に当たるんだ!
よっしゃ―!
当時はメダルゲームが2種類に分かれていて、
大人向けと子供向けのコーナーがありました。
大人向けのメダルは100円で5枚しか借りられ
なかったので、子供の僕にはとてもじゃないけど
手が出せません。
でも、今大当たりを引いているのは
その大人用のコーナーのメダルです。
周りの大人もみんなが僕のほうを見てきて、
完全にドヤ顔ってやつです(笑)
確変は止まることを知らず、
結局1,000枚以上のメダルを預け、
僕はものすごいウキウキ気分で
年を越したのでした。
女神様はおばあちゃん
僕は正月早々から連日、
ゲーセンに入り浸るようになりました。
自宅から徒歩で1時間以上かかりましたが、
自転車なら30分ほどで行けます。
祖父がいるときは祖父が送ってくれました。
たかがゲーセンですが、
10時の開店に間に合うように家を出て、
9:50分には所定の場所で開店待ちをするのが
日課となりました。
僕は1000枚のメダルを減らすことなく、
どんどん増やしていきました。
とあるゲーム機で攻略法を見つけ、
1日1,000枚以上のメダルを貯めまくり、
気がつけば5万枚を優に超える
メダルを持っていたんです。
当時のレートは1枚20円だったので
等価なら100万です(笑)
定員さんからもすっかり顔を覚えられ、
、なんて言われ
楽しい毎日を過ごしていました。
そんなある日、
とある老夫婦が僕の近くに寄ってきました。
僕も顔くらいは見たことがあって、
旦那さんのおしいちゃんはいつも決まった席で
人形が走る競馬ゲーム、おばあさんはカジノに
ありそうなスロットゲームをしているのだけは
知っていました。
最初、僕の近く見ていたおばあさんが
といった感じで話しかけてきたので、
僕もそれなりに相手をしていました。
5分、10分、15分・・・
いくら経ってもおばあさんは離れません。
僕はどうしていいのかが分からず、
結局、その台をやめることにしました。
よかったらやりますか?
そう問いかけると、
私には難しいから無理だわ。
と言って断られる始末。
僕がその場を立ち去ろうとすると
とメダルを催促してきたのです。
えっ、と答えに迷った僕ですが、
手元にはその日増やした
1,500枚近くのメダルがあります。
毎日出しているのも見られています。
そんな状況で嫌ですと言えなかった僕は、
小さいカップに入っていた300枚ほどのメダルを
おばあさんにあげました。
と笑うおばあさんのもとから離れ、
近くにあったクランキーコンドルという
パチスロを打ち始めました。
するとまた、さっきのおばあさんが
やってくるではないですか。
さすがにもうメダルを上げるのは
勘弁してほしいなーと思いつつも、
老後を楽しんでいる老人にめっぽう弱い僕は
メダルいりますか?と問いかけました。
するとおばあさんは、
言って僕の手元から200枚程度のメダルを
再び持っていきました。
そういいながら僕の手をぎゅっと握り、
おばあさんは何かを僕の手のひらに入れ
その場を立ち去っていきました。
なんだこれ?
そう思って手のひらに目をやると、
そこには小さく折りたたまれた
1000円札が2枚残されていたのでした…。
次回はパチンコ依存症におちいった
実際の体験談をお話ししていきますね^^
【お知らせ】
近々、僕が10年に渡って経験を積んできた
パチンコの知識を詰め込んだ
【パチンコ人生逆転の手引書】
というものを公開しようと思います。
パチンコで勝てない、
パチンコで勝ちたい、
そう思っている方に向けた、
パチンコに関する基礎講座です。
パチンコで勝てない人は
勝てない理由が必ずあります。
まずはその理由を見つけ出し、
勝つためのきっかけとなれば
いいなと思っています。
この手引書では具体的に下記の内容について
分かりやすく説明しています。
その一部をご紹介すると…
パチンコの0→1をスムーズに
学べる最高の教科書だと思っているので
楽しみにしていてください(^^)
詳細についてはブログでお知らせするので、
興味のある方は適度に覗いてもらえればと
思います^^
ちなみに無料ですので、ご安心を(笑)
あなたを成功へと導く人生逆転物語はこちら↓
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