明日が来るとは限らないことを教えられた大震災
こんばんは。
今日で震災からちょうど3年が経ちました。
このブログのタイトルを見て訪問してくださった方は『3年後に脱サラするのが目的』と思って見に来てくれた方もいるんじゃないかと思いますが、実は少し違ってて『3年後に脱サラしても生活できるようなスキルを身に着けておく』ってことを本当の目的としています。
もちろん最初の記事に書いたように企業に束縛されているのは嫌ですし、一日でも早く仕事を辞めたいって思いは常にありますけど、辞めるのはいつでもできるのであまり早期に決断を下すのは危険すぎますからね。
僕自身、今の生活をざっくり表すと、平日の昼間に仕事をして、土日は仕事が休みで家族と過ごすって感じで、ごく普通の生活をしています。
でも、会社員である以上これから先、転勤や会社の事情で生活環境が大きく変化する可能性がないとは言えないのが現実です。
この部分って意外と気が付いていない方が多くて、明日も普通に仕事があるなんて保証はどこにもありません。
実際、うちの父親が定年を前にして近畿地方から東北に飛ばされてしまいました。
本人は行きたくないと話していましたが、家族を支える収入源が会社の給与しかない以上、話を断れば生活することができなくなってしまうため仕方なく単身赴任の生活を送っています。
これって一見かわいそうで会社が悪いようにも見えるんですけど、こういった状況になる可能性が少しでもあることが分かっている(サラリーマンであれば誰でも)のであれば、この日の為に他の収入減を作っておくべきだったんです。
それを怠り、何もしてこなかった父親にも責任はあると思います。
ですが3年前のような震災が起こると『明日への努力って本当に必要なのかな』って考えてしまうこともあります。
実は2年前、父親が働いている東北へ行ったことがあるのですが、震災から1年たった海辺を車で回ってみると津波の影響で付近の家は流されていました。
学校の体育館の天井は抜け落ちてがれきの山になり、地下5mくらいの井戸が口を開いたまま放置されていたり、骨格だけ残った民家が残されていたり。
その場所は足場も悪く子供の手を放しては歩かせることも怖いくらいな感じでしたし、こんなことが現実に起こりうるんだという恐怖を痛感しました。
このような現実を目の当たりにすると『明日も生きていられる保証なんてない』ってことを思い知らされるし『今を大事にすればいいんじゃないか(どうせ明日死ぬかもしれないし)』って感じてしまった自分がいたのも正直なところです。
しかし、テレビを通じて復興に向けた努力をされている方たちを見ていると『自分もやらなくちゃって』気にさせられるし、何かの役に立ちたいって思うようにもなってくるんですよね。
『自分は今何が出来るんだろう』ってことを考えた時、実際にやったのはわずかなお金をを寄付したことくらいで他にできることは何もありませんでした。
そして今も現実として僕の力で出来ることってほとんどないと思います。
それでも前に進むことはしなくてはならないし、これからの自分にできることは『子供をきちんと育てて社会に送り出すこと』や『自分の収入を上げることで多くの税金を納めることもできて、社会に貢献できる』といった誰にでもできることを当たり前に実行することで何らかの形で貢献できるように頑張っていくしかないかなって思ってます。
震災が起きた時代に生きていたことは運命だと思うし、それを子供たちに伝えていくことも僕たちの重要な役割だと思います。
そういった想いも胸の中にしまいこみ、また明日から小さな努力を積み重ね頑張っていきたいものです。
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